シチリア島・南イタリアツアー旅行専門店 イタリアン地中海センター エリチェ都市ガイド
エリチェまでのアクセス
パレルモから専用車またはバスにて約2時間エリチェ街歩きおすすめルート
標高751メートルの断崖絶壁、雲をつくサン・ジュリアーノ山の上にあり、下界を遥かに見下ろす空中都市エリチェ。西側にはカタロニア・ゴシック様式の母教会(キエーザ・マトリーチェ)が建ち、東側の断崖絶壁の上には豊穣の女神の神域跡に中世のヴィーナス城(カストッロ・デイ・ヴェネレ)がそびえています。街歩きは、トラパニ門から入って中世にタイムスリップしたかのような石畳の坂道を進んでいくとマトリーチェ教会(ドゥオモ)。さらに石畳の坂道を進んでいくとアーモンドのお菓子で有名なマリア・グラマティコ⇒街の中心ウンベルト1世広場周辺にあるカフェやレストラン、お土産屋さん巡り⇒バリオ公園⇒ヴィーナス城(ノルマン城)へ。エリチェについて
ヘラクレスの来訪伝説やローマ建国のアイネイアスの父アンキセスの埋葬など伝説には事欠かない地ですが、ここに移り住んだとされる小アジア由来のエリミ族と誼を結んでいたカルタゴのフェニキア人が、ここに豊穣の女神アスタルテを祀っていたことは伝説ではありません。近代となりトラーパニからの交通は市バスのほか、ロープウェーが再建されました。
パレルモから専用車またはバスにて約2時間エリチェ街歩きおすすめルート
標高751メートルの断崖絶壁、雲をつくサン・ジュリアーノ山の上にあり、下界を遥かに見下ろす空中都市エリチェ。西側にはカタロニア・ゴシック様式の母教会(キエーザ・マトリーチェ)が建ち、東側の断崖絶壁の上には豊穣の女神の神域跡に中世のヴィーナス城(カストッロ・デイ・ヴェネレ)がそびえています。街歩きは、トラパニ門から入って中世にタイムスリップしたかのような石畳の坂道を進んでいくとマトリーチェ教会(ドゥオモ)。さらに石畳の坂道を進んでいくとアーモンドのお菓子で有名なマリア・グラマティコ⇒街の中心ウンベルト1世広場周辺にあるカフェやレストラン、お土産屋さん巡り⇒バリオ公園⇒ヴィーナス城(ノルマン城)へ。エリチェについて
ヘラクレスの来訪伝説やローマ建国のアイネイアスの父アンキセスの埋葬など伝説には事欠かない地ですが、ここに移り住んだとされる小アジア由来のエリミ族と誼を結んでいたカルタゴのフェニキア人が、ここに豊穣の女神アスタルテを祀っていたことは伝説ではありません。近代となりトラーパニからの交通は市バスのほか、ロープウェーが再建されました。
▼「イタリアン地中海センターイチオシ!エリチェに行ったらMUSTで訪れてほしい場所」
ヴィーナスに捧げた神殿跡に12~13世紀にかけてノルマン人によって建造されました。(別名ノルマン城) 場内には聖なる井戸の跡が残っています。伝説によれば、神殿にはたくさんの白い鳩が飼われており、毎年夏になると1羽の赤い鳩(女神の化身)に率いられてアフリカの神域ケフに趣き、9日後に戻ったと言われています。エリチェ一番の高所にあるだけあり、眺望は抜群で、霧が湧いていなければ、絶壁の下に光る塩田を見ることができます。
山の上にひっそりと佇む石畳の街エリチェにある1314年に建てられたエリチェで最も重要とされる美しい教会。1300年代ゴシック期の混合様式で、内部は1865年に作り直されたもの。聖堂内陣の見事な大理石でできた板絵は有名な画家・ジュリアーノ・マンチーノによるものです。隣接している1312年創建の鐘楼は物見の塔として使用されていましたが、現在はチケット売り場となっています。
ゴシックの天井は高く、全て彫刻が施されており、内部は光に満ち溢れています。1865年にネオゴシック風に再建されたものですが、外観からは想像できない「白の世界」には呆然と見入ってしまうほど。 「ミニ宝物館」が併設され、当時、実際に使われていた銀の道具や、祭祀の衣装が展示されています。
▼まだまだ見所がいっぱいのエリチェ!
シチリアはアーモンドの名産地。シチリア産のフレッシュなアーモンドから作られたお菓子は、よく言われる甘すぎるシチリア菓子とは異なり上品な味。店内のショーケースには可愛いアーモンドのお菓子がズラリと並んでいます。 アーモンドのお菓子は1ヶ月ほど日持ちします。
エリチェへ訪れた際は是非ご堪能あれ。
町の南東部、最も標高が高く、古代のアクロポリス跡にあたる場所に19世紀に造られました。周囲は乾いた平原や山々が広がっている中、緑が満ち溢れているのは、海から湿った空気がこの雲の上の町にぶつかった際、雨が降りやすいためです。ベンチも多く、心地よい風が吹きぬけるため、きれいな空気を満喫できます。市内の散策がひと段落ついた後の休憩や静かに過ごしたい人におすすめです。
エリチェには中庭を持つ邸宅が多く、他の町ではあまり見られませんが、何故エリチェだけ中庭文化が根付いたのかは謎とされています。逆にイタリアのどの町でも一番の賑わいを見せる広場は後世まで造成されませんでした。このウンベルト1世広場は19世紀になって作られたものです。
また、町の入口トラパニ門とウンベルト一世広場の間を結ぶ目抜き通りには、通り沿いには中世の建物が建っていたり、ホテルや土産店が点在しています。